生命のふしぎ 3

ありがたいことに、レナード博士は、博士が生命場の測定に使っていた検出器をエール大学から借りてきていました。


・・・ですから、わたしも直接、博士の検出器を使う機会にめぐまれたのです。


講義のあと、レナード博士はわたしをふくむ4人の学生を、検出器が置いてあるホテルの部屋にまねいてくれました。


そして、順番にひとりひとりの人さし指に電極をつけ、一方の端を塩水につけてメーターの変化を調べ、各人の電位がいかに異なっているかを教えてくれました。


レナード博士が見せてくれたのは、かれが博士といっしょにおこなった実験のひとつで、右手と左手の電位差をしらべるためのものでした。


エネルギー・バランスのとれている人は両手の電位が交流電流のように等しい波を描きます。


50年以上も昔にホテルにまねかれた4人の学生は、全員いいバランスをしていることがわかりました。


しかし、もし左右の電位に大きな差があれば、なんらかの病気が進行している徴候をあらわしている可能性があります。


生命のふしぎ 2

じつのところ、その場は物質的なからだがこの世に出現する前に姿をあらわし、成長する生物の原子や分子をみちびいて、正しいかたちに組織化していく役割をはたしています。


・・・いってみれば、その電磁場のパターンが鋳型をつくり、その鋳型にしたがって物質がかたちつくられ、目で見え、手でふれられる肉体が生じてくるということです。


物質的なからだも「場のからだ」も、ともに「脳」をもっていますが、生命場の「脳」は肉体の脳とは似て非なるものです。


それは生物の肉体的構造を支え、肉体のあたらしい細胞たえず死んでいく古い細胞といれかわっている細胞に行き場所を指示する組織化のパターンのようなものです。


その指示がなければ、あたらしくできた細胞が肝臓に、筋肉に、肺に行くことが、どうやってわかるというのでしょうか?


博士の生命場の研究にかんする文献を読むたびに、わたしは学生時代に得た知識の記憶がよみがえってきます。


・・・そのころ、1940年代の初期のことですが・・・


生命場にかんして、博士の助手のひとりであるレナード博士の講義を聞く機会がありました。


生命のふしぎ

アメリカのある博士は、3本のうちの1本の木が弱りはじめるにつれてその電位がはっきりと低下しはじめ・・・


その値がゼロになったときに、木が完全に枯れてしまったことうぃ観察しています。


3本の木以外の植物でもさまざまな宇宙の力に反応して電位バターンを変化させることを確認した博士は、人体も同じ力に反応しているにちがいないと考え、いろいろな実験をくり返して、その仮説が正しいことを証明しました。


その実験はたくさんありますが・・・


たとえば、女性が排卵のときに電位をいちじるしく上昇させるといった発見もそのひとつです。


博士はまた人間が病気のときにも電位が変わることを発見したが、なかには臨床的にその病気が発見されるずっと以前に電位に変化が生じていたというケースもありました。


・・・そこで、博士はこう断言しました。


「生命があるところには必ず電気的な特性がある」


・・・ようするに、生命場は周波数の高い電磁場という特徴をもっているということです。


博士はそれをいつも、「肉体を組織化する場」といっていました。

すべては「関わり合い」から 4

人間の側からいえば、ありがたいことに、そうやすやすとは達成できない目標や課題があるからこそ、人間力を発揮せざるをえず、その集団活動が成立するのです。


仕事の側からいえば、どんなにりっぱな制度や手法が用意されていても、活性化された組織集団なくしては目標は達成できないからです。


・・・ということは、すべてはその組織集団の活性化に関連して動く、ということです。


この点は、組革研で毎月実証されつづけていることです。


人間力も道具バカも、共に何らかの力の作用がないと出てはきません。


「人を人として」の人間観の下でも、先に記した人間のだめさ加減がなくなるわけではないからです。


その点は双方が同じですが、作用する力の中身となると、人間力の場合と道具力の場合では、まったく一変してしまいます。

すべては「関わり合い」から 3

「おまえさんたちを活性化させてやろう」


「おまえさんたちを教育してやろう、変革してやろう」


・・・という感覚は、けっきょくは、その相手に受け容れられないと思います。


生理的に不快なことだからです。


また、それ用の企てによって、集団内の人間関係や雰囲気、チームワークが、真にできるものではありません。


こと人間に関するあらゆる成果は、己の内なるものの働きによるのであって、外からそれを狙って、他の力で直接操作できるものではないからです。


さらに、業績さえも「人びとと仕事とのかかわり合い」の結果である、と私は言いたいのです。


ニーズのない事業展開をしているような場合は別ですが、組織集団が活性化されて業績が悪くなるわけがないからです。


活性化された組織集団と高業績は、それぞれ別々に実現されることはありえず、相互にからみ合いながら、並行して達成されていくものです。

すべては「関わり合い」から 2

2、3年まえのことですが、ある有機化学分野の大企業の役員から、


「こんど全社の活性化担当を兼務することになったので、よろしく


・・・」としたためられた手紙をもらい、その内容に私はびっくりしてしまいました。


人びとの心の操作を職能としているからです。


「活性化担当」とは「心動かし担当」ということです。


こんなことがあっていいものでしょうか。


「人びとと仕事とのかかわり合い」が生み出すものは、人びとの活性化状態に留まりません。


人が育つことも、人間関係も、チームワークも、集団の雰囲気も、およそ人間がからむことのすべては、その場から生じる症状である、と私は見ています。


「あいつを育ててやる」などと口にする人がいます。


その思いはけっこうですが、おこがましい言葉だと思います。

すべては「関わり合い」から

人々が心を輝かせて活性化していったり、その反対に、心の輝きを失って非活性化していくのは、「人々仕事との関わり合い」の結果としての症状です。


・・・にも関わらず、多くの企業で今日、人々を外から人工的に活性化しようとする、症状に対する全社あげての対症療法が行われているのです。


いわく「NEW○○運動」、「全員参加の○○運動」、「活性化研修会」などですね。


それを生み出している源には一歩も迫らず、現れている症状にのみ対処していったらどうなるでしょうか。


熱が出るからといって解熱剤、胃が痛いからと鎮痛剤だけを飲み続けたら、肺や胃はやがてどうなるでしょうか。


活性化には特効薬はないのであって、あとは劇薬を残すのみです。


・・・それは、人間としての死を意味することになります。


この悪循環の真っただ中にあって、まだ一向に目を覚ましそうにないのが、一般的企業の現状です。

多摩丘稜の可能性

逆に見れば、三浦半島の岬のところから多摩丘陵は北上してゆき、高尾山のところで秩父山系とつながっています。


第二次大戦が終った当時、まず東急電鉄がこの多摩丘陵の一番良い中央部を田園都市として開発しました。


この辺りは今ではハミルトン ベンチュラなど高級ブランド時計などを売っているショップも多くなりました。


五島慶太という人は非常に将来の変化に目の利く人でした。


彼は戦争前からこの多摩丘陵の土地を買っておいたのです。


戦後そこに鉄道線を延ばして、大規模な区画整理を行って、大量の住宅地をつくり始めました。


東京オリンピックの頃から、大手企業のサラリーマンが一戸建住宅を手に入れたいと思っても、すでに23区内の土地は値段が高くなりすぎていました。


彼らが都区外で住みたいと考えた地域は小田急線の百合ヶ丘のあたり、東横線の日吉周辺でした。


特に小田急沿線で、多摩丘陵内部にある山林や農地は、無数の小規模な住宅地に変えられてしまいました。


その頃になると田園都市線沿線は素晴らしい住宅地になる片鱗をみせ始めたのです。

一極集中を解決する手段 2

東京の宿命と言われている、放射環状型の交通網によって形成された市街地・・・


つまり「真中にオフィス街があり外側に円環状に住宅地が広がってゆく都市形態」では、勤め先はあくまで真中の市街地から逃れられません。


しかしこのような臨海都市の新しい形態ができあがっでくると、重いビジネスバッグを持ったサラリーマンを都心部から解放できる可能性をウォーターフロントが引き出せることになります。


この接線方向に延びる新しい市街地は、東京の市街地の外側にもう一つあります。


それはウォーターフロントとは少し離れるが、多摩丘陵に展開された都市群地域です。


多摩丘陵は南武線と横浜線にはさまれ、多摩川に沿って延びる地形のこまやかな丘陵地です。


第二次大戦前に小学校の高学年の児童が遠足に行くというと、その目的地が高幡不動とその奥にある野猿峠であることが多かったのです。


市街地の真中に住んでいた小学生がちょっとした自然にふれられる場所で、関東平野のなかで東京に一番近い山が多摩丘陵でした。


30年程前までは、野猿峠に行くと野鳥がいたりして、多摩丘陵は評判の良いハイキングコースでした。


多摩丘陵は高尾山から多摩川に沿って南東方向に広がり、新横浜のところから3浦半島にむかってその丘陵地は南下していきます。


一極集中を解決する手段

この埋立地の形を単純化して長方形とし、地図の上に置いてみます。


東京の市街地が真中にあり、これも円形に単純化します。


埋立地の長方形は東京の中心市街地である円形に接線方向でつながることになります。


東京の既成市街地の基底部分につながって、接線方向に帯状の新しい市街地が複合的な土地利用で組み立てられます。


この形態は、今までの東京が抱えている交通問題に対して、非常に良い解答を出してくれることになります。


東京の既成市街地にみられる従来の放射環状型の道路は、一つの場所つまり都心部で焦点を結ぶものです。


今のままでは、この放射環状型の道路網は、都心部に近づくにつれてますます混む一方になります。


ところがここで都心部の接線方向に新しいオフィス街ができれば、都心を通らなくても後ろ側からこのオフィス街の勤め先に行けるようになります。


この辺りにはサッカー スパイクなどを販売しているスポーツ洋品店も多いですし、かなり楽しめます。


一番いい例が先ほどの埼京線の話です。


新宿から13号地に行くのに、埼京線を通って品川の大井町のところから13号地に行けるようになります。


それに新木場に通う常磐線沿線の人達は、武蔵野線を使って都心部を通らずに新木場に行けます。


このように、新しい街の形態をウォーターフロントがつくり出すことができるのです。

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