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2010年11月 アーカイブ

女性の社会進出

数年前から、生産工場においても派遣 千葉においても、主婦パートのモラルアップ策として、パートタイマーだけの生産ラインを設定し、当然ながら班長などもそのラインのメンバーのなかから選ぶ、といった先駆的な例も見られました。


また、スーパーチェーンでは西友の「パート主任」制など、勤務期間の長い「熟練パート」を売場責任者に起用するケースも広がりつつあります。


これらのケースは、「それなりに有能ではあっても、特別に有能とはいえない」女性たちが、少なくとも下位の管理職には昇進する道が開かれつつあることを示しています。


そして、男女雇用機会均等法の施行は、こうした傾向をさらに加速するに違いないでしょう。


均等法施行に対する企業側の対応策は、86年の第一段階で、まず「職種別採用」の増加という形で現れています。


銀行など一部の金融関係企業などで使っている用語でいえば、「男女別募集」を止める代わりに、


「総合職・・・転勤範囲は広いが、昇進の可能性も大きいコース」と、


「一般職・・・転勤はないが、あっても範囲は狭いか、昇進の可能性も少ないコース」


この2つに分けて募集し、実際的には女性の大半が「一般職」に応募することを期待するものです。


これまでの女性社員の「平均勤続年数」などから工夫された新方式であり、それへの賛否は、簡単にはいえません。


新卒女性の応募状況、入社試験における採否状況なども見てから、慎重に判断すべきでしょう。


日中友好に尽した鑑真

朝貢(これは一種の貿易)に際し、爵位名「琉球」を命名されました。


しかし、他称ですから、日本における「ジャパン」の名前に似ています。


国王の存在をいう人は、朝貢時の足利義満が「日本国王臣・源道義」と名乗って朝貢した事実をも合せ考え、朝貢国は属領ではないと知るべきでしょう。


鑑真らの一行が漂着して、住民に島名を訊いたら「阿児奈波(おちなは)」と答えたのは至って当然でした。


これは現在、わたしたちが沖縄ツアーなどで訪れるあの沖縄のことです。


更にいえば、大正時代、読書とあまり縁のなさそうな人の口から「琉球」という言葉をきくのは至ってま
れだったそうです。


さて、鑑真の経歴を見てみましょう。


彼の日本仏教に与えた功績と、日中友好に尽した功績は絶大といわれています。


和上は688年、中国(唐)揚州江陽県に生れました。


2歳の時、則天武后が死去し権力の移動がありました。


鑑真は幼時、世の悲劇を見、14歳で仏門に入りました。


揚州は内外貿易の盛んな反権力ムードの豊かな都会でした。


大運河の起点でもあり、和上の国際感覚はこの環境で培われたものと思われます。


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