多摩丘稜の可能性
逆に見れば、三浦半島の岬のところから多摩丘陵は北上してゆき、高尾山のところで秩父山系とつながっています。
第二次大戦が終った当時、まず東急電鉄がこの多摩丘陵の一番良い中央部を田園都市として開発しました。
この辺りは今ではハミルトン ベンチュラなど高級ブランド時計などを売っているショップも多くなりました。
五島慶太という人は非常に将来の変化に目の利く人でした。
彼は戦争前からこの多摩丘陵の土地を買っておいたのです。
戦後そこに鉄道線を延ばして、大規模な区画整理を行って、大量の住宅地をつくり始めました。
東京オリンピックの頃から、大手企業のサラリーマンが一戸建住宅を手に入れたいと思っても、すでに23区内の土地は値段が高くなりすぎていました。
彼らが都区外で住みたいと考えた地域は小田急線の百合ヶ丘のあたり、東横線の日吉周辺でした。
特に小田急沿線で、多摩丘陵内部にある山林や農地は、無数の小規模な住宅地に変えられてしまいました。
その頃になると田園都市線沿線は素晴らしい住宅地になる片鱗をみせ始めたのです。